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日本とユダヤのハーモニー

第4章 イスラエル10部族と皇室の謎に迫る!

イスラエル史と皇暦の関係の年表

 イスラエル民族と皇室との間に接点がある可能性が高いということがわかれば、イスラエルの歴史に疎い日本人でも興味が沸いてくるはずです。イスラエル史を学ぶ一番良い資料は創世記からマラキ書まで39巻からなる旧約聖書です。創世記では紀元前20世紀頃、信仰の父として敬われたアブラハムの話が登場します。彼の孫、ヤコブは別名イスラエルとも呼ばれ、このヤコブに12人の子供が与えられ、イスラエル12部族を形成することになるのです。その後イスラエルの民はエジプトで生活を始めるのですが、いつの間にか4世紀以上に渡りエジプト人の奴隷となってしまいました。紀元前13世紀にはモーゼが登場し、イスラエルの民をエジプトから約束の地と呼ばれるカナン(今日のイスラエル)へ向けて脱出させます。そして紀元前1050年頃ダビデ王の統治下で国家が成立し、黄金時代と呼ばれるまで栄えました。ソロモン王の時代に至ってはその名声は世界に響き渡り、エルサレム神殿が構築されただけでなく、タルシシ船を使って世界中の諸国と貿易を行いました。
 ところがソロモン王が没した直後、早くも国家の崩壊が始まり、紀元前931年、イスラエルは10部族から形成される北のイスラエル王国と2部族からなる南のユダ王国に分裂してしまうのです。神への背信行為、及び、金と権力によって腐敗した王政が原因となって国家の弱体化が急速に進んだあげく、紀元前722年、まず北のイスラエル王国が崩壊し、アッシリヤによって滅ぼされてしまいます。その結果、大勢の民が国を失って逃げて行きました。それからおよそ140年後の紀元前五八六年、今度は南のユダ王国がバビロニヤ帝国の手により陥落し、住民は捕囚としてバビロン(現在のイラク)に連れ去れてしまったのです。それから50年近くたった後、南王国の2部族のみが再びエルサレムに帰還してくるですが、北の10部族の行方はわからないままです。それ以降、1948年国連決議を経て今日のイスラエルが再建国するまで何と2500年もの間、国を失ったまま他国の統治下におかれてしまったのです。しかも今日のイスラエル国民は、南王国2部族を構成するユダ族とベニヤミン族の子孫とユダヤ教に改宗した12部族外の人たちで占められており、北の10部族は含まれていません。
 この行方がわからなくなった北の10部族が古代日本史と大きく関わっている可能性が高いのです。日本には歴代天皇年表もしくは皇歴と呼ばれる天皇家の年表が存在し、紀元前660年、神武天皇が1月に即位した時点から今日まで125代にわたる天皇家の歩みが暦として記されています。確かに万世一系の立証は難しく、この年表の中には学問的な見地から存在の有無さえも疑問視せざるを得ない天皇が記載されているという指摘もあります。しかしここで大切なことは暦が語る数字の因果関係に注目することなのです。
 紀元前722年イスラエルの10部族が国家を失い、行方がわからなくなったその直後の紀元前660年、巨大なアジア大陸を経て日の出ずる島々では日本国の皇室史が幕を開けたのです。古代日本文化とイスラエルの文化が酷似するのは偶然とは言えない理由がここから始まります。


(文・中島尚彦)

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