日本とユダヤのハーモニー
第6章 「弥生ショック」の謎を解く鍵とは!
国立歴史民族博物館は5月19日、弥生時代の始まりがこれまでの定説より五百年程早い紀元前800年前後まで遡ると発表しました。九州北部の遺跡から出土した各種弥生土器に付着している遺物を測定した結果、弥生早期の土器11個のほぼ全部が紀元前800年頃に集中することがわかった為です。炭素の放射性同位体C14を駆使した年代測定は信憑性がかなり高いため、これまでの歴史観が教科書も含めて根底から覆される結果となりました。すなわち弥生時代の始まりは紀元前4世紀頃という従来の説が間違いであり、実際は紀元前8世紀以前に大陸からの渡来者が新しい文化を日本列島に持ち込んだという結論に達したのです。これで大分県国東半島における前700年頃のものと推定される製鉄遺構や、福岡の曲り田遺跡で発掘された前8世紀の弥生早期の鉄器等を無理やり縄文文化に結びつけて説明する必要が無くなりました。
しかしここで当然の疑問が生じてきます。それは当時、何故大勢の民衆が海を越えて危険を冒してまで見知らぬ島々に移住しなければならなかったかということです。春秋戦国時代と違って大陸の情勢も落ち着いていた為、民族移動の必要性が考えにくい時代なのです。その為、寒冷気候などの特殊な外部要因を想定した仮説などが飛び交うようになりましたが、想像の域を抜け切れません。
大陸における騎馬民族の歴史を振り返ってみても同等の問題が見え隠れします。紀元前8世紀頃まで遊牧民は主として内陸ユーラシア及び西アジアの乾燥地帯を先住していました。原始農耕文化を背景に良好で水に恵まれた草原を求めた民は、武具などを持つ必要もさほど無く、平穏な時代を過ごしていたようです。この温厚な遊牧民族がある一時を境に突如として騎馬民族と化し、広大なアジア大陸を東方へと移動し始めるのです。その先陣を切ったのが前7〜8世紀に突如としてイラン高原に進出したスキタイであり、後に匈奴(きょうど)や突蕨等の騎馬民族の歴史へと発展していきます。何故、原始遊牧民族が騎馬民族に変貌し、しかも未知の大陸を横断するという大きなリスクを犯してまで、東漸を決行したかということについては謎に包まれたままでした。そして不思議なことにこの騎馬民族の出現と弥生文化の日本到来が同じ時期にオーバーラップすることがわかったのです。この事実に注目することが日本古代史の謎を解く鍵となります。
もう一つの鍵は古代イスラエルの歴史に注目することです。前8世紀、イスラエルはイスラエル北王国と南ユダ王国の2つの国に分裂していました。政治的緊迫感が漂う中、前740年頃、予言者イザヤが神から召命を受けて宣教活動を始めます。彼のメッセージは単純明快でした。すなわち国家の滅亡です。事実、前722年にまずイスラエル12部族の内、10部族で構成されていたイスラエル北王国がアッシリアに攻撃されて崩壊しました。その後、前583年、南のユダ王国がバビロンの占領下に入ったのです。この2つの王国が時間を隔てて崩壊していく中で、時を同じくして歴史から消え去ったのがイスラエル北王国の10部族とイザヤ、及びその家族と弟子達、そして南ユダ王国の首都、エルサレムにある神殿に保管されていた契約の箱と神器だったのです。
この人類の歴史の謎とも言われているイスラエルの失われた10部族と契約の箱の行方や騎馬民族と弥生ショックの謎を解く鍵が何と、旧約聖書のイザヤ書に書かれていたのです!
(文・中島尚彦) |