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第13章 消えたシュメール人の行方

 メソポタミアと言えば、おそらく誰もが学校で一度は耳にしたことのある人類最古の文明であり、古代4大文明の一つでもあります。メソポタミアという言葉には「川の間」という意味があり、地理的には中東にあるティグリス川とユーフラテス川と呼ばれる著名な大河に挟まれた地域をさします。この地域はちょうど今日のイラクがある所で、前4000〜5000年の原始時代においては既に部落スタイルの集団生活が始まっており、小神殿が建築されていました。前3500年には村落が著しく発展し始め、都市国家が形成されていきますが、その仕掛人、すなわちこのメソポタミア地域に優れた古代文明を築きあげ、ウルやキシュ等、多くの都市を設立したのがシュメール人です。彼らは元々メソポタミア地域の原住民ではなく、どこからともなくメソポタミアの南部に移住してきたと言われており、そのルーツを探る手がかりは無いようです。このシュメール人の手により前2100年にはウル第3王朝が栄え、シュメール文化の繁栄は頂点を迎えます。

 シュメール文化の特色はまず高度な天文学の知識にあり、今日カレンダーで使われている週7日という暦はシュメール文化から生まれたものです。また灌漑の技術を持っていた為、当時から水路を活用して農地に水を引き、牡牛を使って地面を耕しました。大麦を始めとし各種穀物も豊富に栽培され、牛や豚等の家畜も飼育されました。また青銅器や彩文土器等を製造する技術も有し、楔型文字を活用していたことでも有名です。この楔型文字はメソポタミア地域において文献を保存する手段として長年用いられ、ウル第3王朝時には最古の法典まで書き上げられたのです。

 ところがこの偉大な古代文化を築き上げたシュメール人が前2000年頃、ふと歴史から姿を消してしまいました。確かにアモラ人等による他民族の侵入もシュメール人の失踪に影響を与えたかもしれませんが、何故メソポタミアから突如として消え去ってしまったのでしょうか?その謎を解く鍵は旧約聖書に登場するアブラハムの一家にありそうです。

 アブラハムは前2000年頃、シュメール文化の中心地、首都ウルで生まれました。両親と住みながらそこで彼はシュメール人のサラを妻に迎えます。すなわちアブラハムの子孫としてサラから生まれてくる子供にはシュメール人の血が流れているのです。アブラハム自身はセム系ですが、西アジアの文化圏においては母方の血縁が人種を決定する最終の判断基準とする場合があるため、アブラハムの妻、サラから生まれる子孫はシュメール人と言うこともできます。

 さて、アブラハム一家は神の祝福が宿る富豪としてその名声はウル全体に知れ渡っていました。ある日、父、テラは家族全員を連れて遥か北方の彼方にあるタガーマ州のハラに移住する決断をします。繁栄と恵みの象徴である彼らが突然ウルを去る事を知って動揺したシュメール人の同胞は少なくなかったに違いありません。いつの間にか多くの民は運命を共にするためアブラハム一家を追ってタガーマハラへと移住し始め、その結果、短期間で大勢のシュメール人がメソポタミア南部から消え去ることになったと考えられます。

 そのタガーマハラでアブラハムは神と出会い、神からの啓示を受けて約束の地、カナンへと旅立ちます。そこでアブラハムの孫にあたるヤコブからイスラエルの12部族となる12人の子供が誕生し、後のイスラエル国家へと発展していったのです。すなわち古代日本史にイスラエルが絡んでいるということは、日本のルーツにシュメール文化が潜んでいるということになるのです。


(文・中島尚彦)

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