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日本とユダヤのハーモニー

第15章 シルクロードとは平安京を目指したユダヤの道しるべ!
〜新天地を目指して砂漠に道が開かれていく・・・

 古代史には推測の余地が大きく、特に失われた10部族と日本に関して直接言及している文献は皆無で決定的な証拠が何も存在しない為、この手の話はいかんせん極論や盲信に走りやすい傾向があります。およそ1900年前にフラビウスという歴史家が「10部族は今でもユーフラテスのかなたにおり、膨大な民衆となっている」と書き記していますが、実際その程度のデータしか存在しないのです。また一部の少数ユダヤ系民族では、10部族は大陸を横断して中国の先にある神秘的な国に移住したと語り継がれてきていますが、これも単なる伝説でしかすぎません。それ故、ユダヤと日本の関係については、様々なデータを十分に蓄積して検証する必要があります。

 アジア大陸におけるイスラエル人の動向に関しては、確かにイランやアフガニスタン、中国等、アジア大陸の諸国に離散したイスラエルの民がユダヤ部落を形成した軌跡を確認することができます。例えば中国の開封市では、19世紀に洪水で村が壊滅状態に陥るまでユダヤ教の規律に従って生活をしていた部落が前3世紀から存在し、ユダヤの会堂が建てられていたことでも有名です。またアフガニスタンにも前5〜6世紀頃にはユダヤ部落が存在し、11世紀頃までには数万人規模の在留異国人として知られることになりました。そしてアジア大陸には、砂漠というその途方も無く広大な大自然の中にいつのまにかシルクロードが出来上がり、そこではヘブライ語で道標も立てられ、結果としてユダヤ系の商人が行き来して貿易をしていたという史実があります。このシルクロードこそ、国家を失った膨大な数のイスラエルの民がアジア大陸を東方に向かって移動し続けた結果、形成された交通網と考えるのが妥当ではないでしょうか。2700年前に国家を失ったイスラエル人にとって、救いの道は預言者が語った東方の島々にあり、それが砂漠の大陸を横断するモチベーションとなったと推測できます。

 それではいつ頃、どの程度の規模で、どの部族が日本に移民してきたのでしょうか?まず日本列島への移民は、イスラエルの国家の崩壊という歴史の流れを受けて、それから数十年以内に始まったと推測できます。皇紀元年のタイミングは正にその時期と一致しており、暦を大切にしていた民族ならではの一貫した歴史観を基に、新たなる神国としての位置付けが皇紀に反映されていると思われます。また、大陸間における民族移動は部族に分かれて長い年月をかけて徐々に進展しただけでなく、実際には大陸の横断は困難を極め、島々への渡航も小規模でしか行うことが出来なかった為、この貴重な史実は歴史の水面下に葬られてしまったのではないでしょうか。そして最終的に日本に到来したのは失われた10部族だけでなく、むしろ他の2部族を中心としたイスラエル全部族と推定できます。何故なら予言者イザヤが仕えていたエルサレム神殿は南ユダ王国に存在し、イザヤを中心とする聖職者に導かれながら神器が神殿から持ち出され、国家の脱出が目論まれたと考えられるからです。南王国の首都エルサレムは「平安の都」という意味がありますが、イスラエル12部族が切望したのは、新天地で「平安京」をいつの日か設立することだったのです。


(文・中島尚彦)

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